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環東京湾構想
新たな成長と人間本来の生き方のために
      山崎養生・竹村真一著   
朝日新聞出版
 最近、地球的視点のスケール大きな夢のある内容の本が出版され、大変感銘を受けたので、紹介したい。

 この本は、東京湾を中心とした新たな大規模な都市造りを提唱する内容です。太陽光発電の利用、高齢化、日本の国際化などと密接な関係があり、「環東京湾構想」を通じて日本経済を再生・発展させることを提案しています。

 本書は4章からなっていますが、第1章の「日本を再生させる環東京湾構想」のインデックスを要約しました。
職業柄、房総理想都市エリア部分は少し詳しくなりました。
第2章 このままでは首都圏が沈没する
第3章 グリッドコミュニティーで地域が生き返る
第4章 進化する街・東京の未来

第一章
日本を再生させる環東京湾構想


高齢化が首都圏を直撃する

 日本の将来を考える時、最大の問題は少子高齢化でしょう。日本全体の問題も深刻ですが、首都圏はさらに深刻です。あまり知られていませんが、超高齢化社会に突入する日本のなかでも、どこよりも早いスピードで高齢化が進むのは、実は首都圏なのです。東京近郊に家を買い、働いてきた団塊世代が退職年齢に入ってきたためです。
 推計では、 65歳以上の人口に占める要介護高齢者の割合は、 05年の16%から、 25年には20%になります。これは高齢者のうち、特に健康に問題を抱えやすい75歳以上の人の割合が増えるためなのです。65歳以上の高齢者全体の数が急増するのですから、要介護高齢者の数が大きく増えることになるのです。
 それを考えれば、今後7、 8年ほどの間に、首都圏全体で100万人規模の介護施設を新たに増設しなければなりません。東京について言うなら、介護施設不足の問題は実は土地問題であると言えます。東京は土地の価格が高すぎます、 1坪100万円、 200万円する土地に施設を建てても採算はとれません。さらに都心部となると、新しい施設のための余地自体がないのです。
 数百万単位で増えていく高齢者の人たちに対し、尊厳ある人間としてして扱い、人生を終われるようにするための行政の準備は、全くなされていません。

日本は世界経済の変化に適応していない

 世界の工場として優良な製品をアメリカに売込むことで成長してきた日本の首都東京は、終わりを告げました。太平洋ベルト地帯に工場があった日本のメーカーは、中国など世界の新興国に次々と工場を移しています。国内の工場で働く人の数は減り、残った人たちも3人のうち1人が非正規労働者となるなど、実質的にこれまでより安い賃金で働いています。もうこれは限界です。「世界一効率の良い生産基地」は、既に日本から中国やインドに移りました。高度経済成長型ビジネスモデル不振の真の要因は、この点にあります。
 東京はポスト工業化時代の新しい産業を育て、その中心になっていくこと。
欧米相手ではなく、アジア相手の「日本の顔」になることが、今東京を含む首都圏に求められている役割なのです。

100年前の都市デザインでいいのか

 首都圏の基本デザインが作られたのは、およそ100年前のことです。 東京駅の着工が1908年で、丸の内のオフィス街もその前後に建設されています。そのころの日本人は、平均寿命が44歳くらいでした。定年を55歳としても、定年後も長生きする人の方が珍しかったのです。
 100年前に東京という都市が生まれころ、首都圏は「現役の街」であり、高齢化問題や年金問題、介護や老人医療の問題は存在しなかったわけです。
東京の都市デザインの一つの特徴は、職住分離の街であり、電車通勤の街であるということです。
 そのルーツはかって渋沢栄一らが唱えた「田園都市構想」というコンセプトにあります。それは都心から郊外、田園地帯に続く鉄道があって、人々は田園の中にある住宅地に住みつつ、都心の勤務先に通勤するというものでした。それを具体化したのが、東急電鉄が開発した田園調布などです。
 ただしこの田園都市構想は、戦後の高度成長に伴う都市圏の急拡大により、当初の構想とは異なったものに変形していきます。朝鮮戦争前後から、占領国であるアメリカが日本の工業化にカを入れるようになると、東京が設備投資の中心、そして戦後日本経済の中心となっていきます。
 これにより首都圏には全国から人が集中しました。東京、千葉、神奈川、埼玉の1都3県の人口は、戦後すぐは1200万人程度でした。それが約30年間で3000万人にまで増えたのです。もともとは戦前にデザインされた、もっと人口の少ない状態を想定していた首都圏に、全国から予想外の数の若い働き手が集中したわけです。人口の増加があまりに急だったために、田園の中に住宅地を造成するのではなく、田園をつぶして住宅地を造成してしまいました。その結果、職住分離、電車通勤という構造はそのままに、首都圏の多くが家やアパートで埋め尽くされてしまいました。
 戦後の住宅地の問題点は、新たに東京に流入してきた若い人たちに住宅を提供する目的で造成されたために、「若い人しか住まない」という前提で街や建物を造ってきたきらいがあることです。 多摩ニュータウンなどもそうですが、4,5階建ての建物なのにエレベーターもないことがあります。高齢者が多く住むようになるかもしれないというところまで考えずに造ったのです。
 戦後の高度成長期から20世紀の終わりまで、首都圏では都市設計自体が、増え続ける働き手になんとか住まいを供給するのに手いっぱいで、人間が老いていくことや、生まれてから死ぬまでどんなふうに生活していくのか、といった深い考えのないまま進められてきたと言えるでしょう。
 こうしてみると東京首都圏は限界にきています。限界を乗り越えるには、少なくとも3っの条件が必要です。
1つは、長生きできることが幸せだ、と感じられるような街に、首都圏を造り変えることです。
2つには、東京が新しい成長経済圏となり、アジアの成長を取り込むことです。
3つには、これから予想される世界的なエネルギーや食料の不足に対応することです。

房総理想都市エリア

 「環東京湾構想」とは一つには、これまでの成り行き任せの首都圏の街づくりの反省の上に立って、高齢化や産業構造の変化といった20世紀の問題を克服するための街をつくっていくことです。
 まず首都圏の行き場のない高齢者のための医療や介護施設をどこに建てるのか。若い人が安心して子育てできるような街をどこにつくるのか。新しい仕事ができるような街をどこにつくるのか。
 条件としては首都圏の中にあり、使われていない土地がたくさんあり、自然が豊かで、交通アクセスも良いという地域です。
 首都圏に高齢化問題があるからと言って、北海道や沖縄にリタイアメントのための街をつくっても意味がありません。人は住み慣れた地からあまり遠い場所には行かないのです。
 「子供や孫に会いたい」というときに向こうが来るにも、こちらが行くにもその気になれば簡単に行き来できる環東京湾地域の中に、自然豊かなリタイアメントタウンをつくることに意義があるのです。新しく理想的な街ができることが過密の都市の自己変革もうながして、首都圏全体を変えるでしょう。
 こう考えてくると、おそらく適地は一つしかありません。 それが、木更津から館山までの房総半島です。
 環東京湾圏は、東京湾を囲む地域の人口増加率を見るとはっきりわかるのですが、明らかに西の方が人口過密になっています。
 一万、東側の木更津から館山などまでの房総半島は平地であっても人口はまばらです。 木更津から南、房総半島の一帯の都市機能を整備し、房総半島全体で300万人ほどが住めるようなコミュニティーの集合体として新しい理想都市エリアをつくってしまえば、東京都で余った土地がないために介護施設が造れないという問題は解決するわけです。
 ただしお年寄りだけ増えても街として機能しません。 ビジネス・コミュニティーも必要ですし、若い夫婦などが子育てするにも良い環境をつくって、多くの世代に移ってきてもらう必要があります。
 都心とは全く違い、空間に余裕があり、一坪3万円ないし5万円という比較的安価な土地の上に、病院、介護施設、子供たちを育てる保育施設や教育機関、レストランなどの娯楽や文化施設もあり、交通も便利という新しい都市圏をつくり出す。
 特に大事なのは、これまでの首都圏が職住分離であったのに対して 「職・住・食・楽」が一体化した 「歩いて暮らせる街」であり、バスや近代的な路面電車(LRT)で気軽に安全に移動でき、そして遠距離の移動には高速道路や鉄道などが利用できることです。
 そこを後に述べるような 「グリッドコミュニティー」 「アジアンシティー」 「太陽経済都市」の街としていくのです。
 医療や介護、教育機関などは、いずれも土地が安いところの方が有利です。収入が同じで土地コストが安ければ、それだけ経営も安定し、その分お金に余裕ができて良い人材を集められ、施設も良いものを造ることが可能になるのです。
 今までにも、東京に近い避暑地・温泉地としては箱根、伊豆があったし、海浜リゾートとしての湘南もありました。ただこれらの地域には歴史もあり、コストも高く、一から新しいコンセプトに基づいて開発していくのに適した地域ではありません。
 木更津の沖では今も潮干狩りでアサリを掘っているほどで、埋め立てという視点から見ても海面下にフラットな地面が残っている地域なのです。房総半島南部は面積がまとまっていてしかも安い土地、便利な交通、海や山の豊かな自然環境、地元産の食材を楽しめる農業や漁業といった条件に恵まれています。
 千葉県は農産物の出荷額でも全国屈指ですし、漁港も多くて、食にとても恵まれた地域です。自然の中で暮らしながら、おいしい地元の産物を食べて暮らすという理想の暮らしが、都心からほど近い場所で簡単にできてしまうのです。
 おそらく全体として、北はビジネスゾーンの色合いが強く、南に行けば行くほど、リゾート都市としての性格を持つことになるでしょう。中には「自分は海より山の方に行きたい」という人もいるでしょう。房総半島の中央部はそれほど高くはないけれども山地になっていて、そうした要望にも応えられます。外房の九十九里側も、今では千葉東金道路などの高速道路が整備されてきていて、時間的に近くなっています。今後はリゾートとしての開発がされていくことになるでしょう。
 今回の「環東京湾構想」の一つの柱が、この房総に理想都市をつくるという提案です。もちろん、主役である住民が安心して住み続けられるように、住民が街づくりに十分参加する仕組みが必要です。具体的にどのような街をイメージするかについては後述しますが、一言で言えば職住一体の、今の東京より住みよく魅力的な街をつくっていく。それによって環東京湾全域を全く新しい付加価値を持った人間本来の生き方が自然にできる21世紀の都市圏に変えてしまうということです。
 それこそが首都圏の高齢化への解決策であるとともに、行き詰まっている日本経済への処方箋でもあるのです。

国際化で羽田空港は変わる

 環東京湾構想の中で必ず押さえておかなくてほならないのが、交通アクセスの問題です。
 ステップその1は、羽田空港の国際化です。
 日本がアジア経済とともに成長するためには、アジアとの人の交流が不可欠です。それを考えると、現在の「羽田は国内線、成田は国際線」という位置づけは、変更されなければなりません。成田から北京までの飛行時間は約3時間。ところが丸の内から成田空港までは、乗り継ぎなどを含めれば1時間半かかる。都心から近場のアジアに行く場合、空港が成田では遠すぎるのです。
 日本経済最大の顧客が米国市場からアジア市場に移行するにつれ、羽田空港を中心としたアジア向け航空路線の重要性が高まるでしょう。大事なことは、それを時代の必然であると認識し、羽田空港を、「アジアへの玄関口」と位置づけ、アジアビジネスに注力することです。

アクアラインを首都高の一部に

 ステップその2は、東京湾アクアラインの実質無料化です。
 「木更津周辺地域が都心と結ばれることにより、飛躍的に発展していく」という構想は、実はアクアラインが計画された時、一度青写真が作られています。ただし、その青写真は全く実現していない。それはアクアラインの通行料が高すぎたからです。
 この間題に関し、最も高い経済効果を発揮する政策は、 「アクアラインの首都高速組み入れ」です。つまり、アクアラインを首都高速の一部とみなし、現在の首都高速料金だけで、千葉県側まで渡れるようにする。そうなると利便性はさらに上がり、本格的な経済浮揚効果が生まれきます。

高速道路無料化は必ず実現できる


 ステップその3は、高速道路の無料化です。
 現在、全国の高速道路の65%に当たる5200キロが、並行して走る一般道路は混雑しているにもかかわらず、通行料金が高いためガラガラです。そして、一般道路が混雑するからといって新たに一般道路を造るという二重投資が行われています。
 高速道路が無料化されれば、今、建設が計画されている一般道路の約4分の1は不要になります。その額は年間5000億円。無駄な道路予算を減らす近道は、高速道路を無料化することなのです。さらに、国土交通省によれば、全国で年間7兆8000億円の経済効果があるという。つまり、税収が増え、大きな財政改善効果があのです。

さらに第2アクアラインを

 ステップその4は、第2アクアラインの建設と、東京湾岸を巡る環状鉄道路線の敷設です。
 点と点を結ぶ単線道路と違って、環状道路はそれが取り囲む地域一帯の利便性を面で向上させます。例えば、環状7号、環状8号といった環状道路は、首都圏の道路交通の要になっているし、首都高速も、外環道という外側の環状道路が1つできただけで、機能性が格段に高まっています。
 そこで、東京湾岸にも、環状線を造るのです。その第1歩はアクアライン開通ですでに始まっています。だが、環は1つだけでは十分ではありません。今後アクアラインの通行料金が安くなり、沿線の開発が進んでいくと、 1本の橋だけでは渋滞が日常化する恐れがあります。三浦半島の横須賀と千葉県の富津岬を結ぶルートに橋かトンネルを造って「第2アクアライン」、すなわち2番目のループとするのです。実はこの区間は東京湾を横断する距離としてはアクアラインより短いのです。

リニアモーター環状線構想

 鉄道についても、同様に東京湾を囲む環状路線が必要です。さらに、アクアラインと第2アクアラインに鉄道路線を併設することは、房総理想都市エリアが大きくなることを考えれば不可欠になります。
 広く環東京湾圏の活性化を目指すのであれば、現在有る空港間のリニアモーターカーによる連結の構想とは別に、環東京湾路線を検討すべきでしょう。
 具体的には羽田空港を起点とし、神奈川側の横須賀線、千葉側の京葉線と並行し、第2アクアラインを通って東京湾を一巡するリニア路線です。
 21世紀の日本を考えると、財政や経常収支の面からも、アジアとの交流の拡大を考えても、やはりこのままでは落ち込んでしまう首都圏の経済力を強化していかなければ、どうにもなりません。
 その要が交通問題であり、まずアクアラインを無料化し、周辺すべての高速道路を無料化し、増大する交通量を見越して第2アクアラインを造り、リニア路線によって首都圏が結ばれていく。それらすべてを早め、早めに計画し実行していくことで、初めて日本が「アジア経済の時代」を主導することが可能になるのです。

新交通システム世界に先駆ける

 ステップその5は、環東京湾地域を新時代の交通システムのモデルタウンとすることです。 
 具体的には「交通事故を起こさない道路」「渋滞のない道路」であり、「老人でも子供でも運転できる自動車」「石油を一切使わない自動車」です。今後、自動車はガソリン車からハイブリッド車、さらに電気自動車へと進化していきます。CO2(二酸化炭素)の排出量は飛躍的に減り、電気そのものも太陽光発電など化石燃料を使わない太陽起源のものが増えるでしょう。
 また、これは現在、自動車メーカー各社が研究中の技術ですが、衝突回避や自動運転の技術が実用化に近づいています。運転技術の上手、下手にかかわらず、自動車の側が危険を察知して、事故を未然に防ぐシステムです。さらには、人が運転しなくても、車が事故なく自動的に目的地へ着くという技術です。これにより、交通事故がゼロという社会をつくっていくのです。
 日本には最も早く石油を使わない自動車社会、交通事故のない自動車社会を実現して、その技術を全世界に広げていくことが求められます。これは自動車単体では実現できないことです。道路交通情報システムと個々の自動車の間で情報を交換し、必要に応じて交通の流れを制御したり、乗っている人が運転を車に任せることを可能にしていく、全く新しい道路システムが必要になります。
 事故も起こさない車とは、実は目的地に自動的に着ける車でもあるのです。つまり、完全自動運転車が最終的な目標になってきます。
  技術が進んで電気で動く自動車、自動運転の自動車になっていくと、自動車は限りなく電車に似てくるとも言えます。一人一人の言うことを聞いてくれる夢の電車です。電車と自動車の境界線は、50年ぐらいしたらほとんどなくなっているかもしれません。
 電車には一度に大量の人や貨物を輸送することができ、環境負荷も少ないという利点があります。今後は自動車も、環境負荷がほとんどなく、より運搬効率の高くなる方向に進化していくでしょう。
 先に「自動車産業も電気自動車になって価格破壊が始まる可能性がある」と述べましたが、そうなると自動車メーカーとしても、新しい戦略を考えなくてはいけなくなります。 今まで自動車メーカーは車本体ばかり見ていたわけですが、これからは道路システムと一台一台の車の連携が大事になってくるでしょう。
 車単体では利益が出ずとも、自動車を社会システムの一部と位置づけ、それをビジネスとして取り込む、つまりシステム全体の輸出という新しい分野が生まれてくるはずです。 結果的にそれによって、排気ガスを出さない自動車が走る社会、物にぶつからず人を殺すことのない自動車が走る社会、道路とシステムが一体化され、運転者が寝ていても目的地に着き、渋滞も起きない、交通インフラそのものがきわめて効率化された自動車社会が実現するのです。
 日本としては、ぜひそうした新しい自動車社会を世界に先駆けて実現しなくてはなりません。そしてゼロから街づくりを計画していくことになる環東京湾地域こそ、新しい交通社会のモデルにふさわしいでしょう。

日本最大のアジアンシティーに


 ここで提案したいのは、神奈川・東京・千葉の湾岸地域にアジア企業を誘致し、日本最大の「アジアンシティー」とすることです。
 アジアの主な企業はこれまで、東京に本格的に進出していません。それは、都心は土地代が高すぎるし、そもそも進出できる余地がありません。そんな中、羽田空港は2010年に24時間空港化され、国際線の就航が計画されています。これは、空港に近い東京湾岸地域に大きなビジネスチャンスをもたらすことになります。とりわけ木更津周辺が、アジア企業にとって有力な進出拠点となり得ると考えます。アクアラインを使えば羽田まで車で15分、都心へも約1時間と交通アクセスが良く、土地代も安いからです。
 これからは企業やビジネスパーソンを誘致するにも、市場の大きさやビジネスの効率性を言うだけでは駄目です。彼らのための住宅を、そのオフィスの近くに確保できなくてはなりません。
 アジアの人々が好む都市がある。例えば中国人の場合、米国のサンフランシスコ、シアトル、オーストラリアのシドニーなどです。これらの都市の共通点は、経済も発展しているが、同時にマリンリゾートという顔も持つ都市であることです。 アジアの中でも特に中国やインドは、都市の多くが海に接していません。彼らにとり、海に接しているということ自体が大きな付加価値なのです。東京の海辺の景観、房総の自然の美しさや食べ物のおいしさは、大変な魅力であるはずです。
 我々がアジア経済を取り込んで豊かになりたいのなら、こうした魅力を活かし、彼らが気持ち良く住める街づくりに取り組まねばなりません。

太陽経済のモデルゾーン

 環東京湾構想とはまた、首都圏に「太陽経済都市」を造っていこうという提案でもあります。
 太陽経済とは、太陽のエネルギーを用いて人類社会を成り立たせていく、新しい経済の形を言います。
 例えば電気自動車を使い、そのエネルギー源として、太陽光発電や風力発電、水力発電による電気を使う。そうやって石油や石炭、原子力などに頼らない社会を目指すのです。21世紀の世界は太陽経済でなければ成り立たちません。というのも中国、インドなどの人口大国が使う資源やエネルギーの量が増えていくと、地球環境が維持できなくなる事態が予想されるからです。
 だから両大国にとっては、ある程度以上に経済成長していくためには、資源の制約を超えていく技術が必要です。それが太陽経済なのです。それを日本が提供していく。その際、太陽電池や電気自動車といった個々の製品だけではなく、食料と水を含めた社会システムを提供する。
 太陽電池や電気自動車など、それぞれの要素技術は、どんどん真似され、価格も下がることが予想されます。それでは日本経済の支えになりません。太陽経済のキーは、個々の製品や技術をトータルシステムとして運用・発達させていくことにあります。この複雑なシステム運用を日本が真っ先にやれば、簡単に真似できない、世界のモデルになると考えます。これをアジアのビジネスパーソンに見に来てもらうと同時に、理想都市の生活を体験してもらう。そして、それを自国に導入してもらうのです。
 石油経済から太陽経済への移行は巨大な「産業革命」です。今後、日本が世界経済のリーダーシップをとれるかどうかは、今ここで国家の太陽経済化を進めるかどうかにかかっているのです。

高齢化に適応した街づくり

 100年前の人生50年時代の基本プランの上につくられた東京は、若くて元気な人、満員電車で長時間通勤しても平気な人のための街でした。でも、あれほど元気だった団塊の世代も引退していきます。これからは通勤しない人、遠くに行かない人、行けない人たちが増えます。
 首都圏のデザインを根本から変えるための基本は、「歩いて暮らせる街」「年をとっても安心に暮らせる街」です。
 実は、明治の初め、まだ電車もないころに日本中でできたのが歩いて暮らせる範囲のコミュニティーでした。 その中心となり国民に広く文明開化と明治維新を実感させたのが、平均1.2キロの範囲につくられた小学校と郵便局でした。国民全体が教育、郵便、貯金、保険という近代社会の恩恵に浴したのでした。
 グリッドコミュニティーとは、いわば21世紀のふるさと構想です。教育、医療、循環、自治の単位を、おおむね小学校の校区に置こうという考えです。小学校とほぼ同数ある郵便局は、グリッドコミュニティーの有力な機能単位です。年金の相談業務などは、全国に312カ所しかない社会保険事務所から全国に2万4000カ所以上ある郵便局に移すべきだと私は考えています。
 これは「職住近接」「歩ける範囲の街づくり」という意味でもあります。歩いて回れる街の中に職場があり、住む家があり、そして自然がある。
 ヨーロッパの昔からの街はどこも歩くことが基本のつくりになっています。ニューヨークのマンハッタンが観光客に人気があるのも、マンハッタンがすべて歩いて回れる街だからでしょう。 東京などでも、昔ながらの下町は歩ける街なのです。
 これまでの都市の思想は、「効率化と巨大化のために機能を分離していくこと」でした。 これからは反対に小さな単位に都市の機能を統合していくことになるでしょう。
 前者が石油経済時代の都市であり、後者が太陽経済時代の街です。
 私はおそらくこれからの世界の都市のトレンドは、最終的に「職・住・食・楽一体の街」となると考えています。仕事と住まいと食べることと楽しむこと、つまり文化や娯楽が一体となっている街です。
 これは私だけの感想ではないようで、東京で最近つくられる新しい街は、六本木ヒルズにしても東京ミッドタウンにしても、オフィスと居住区と食、それにショッピングや文化施設、すべてが複合化された設計になっています。でもそれは所詮は都心の限られた空間に造られた、巨大ビルによる複合施設です。入居できるのも一部の高額所得者だけです。
 お金持ちもいればそうでない人もいて、高齢者もいれば子育てする夫婦もいて、都心よりもっと自然の要素があり、緑に囲まれた歩道があり、サイクリングできる道があり、という複合的な街をつくらなければいけません。
 首都圏に住んでいる人たちの多くが、「できればこんなふうに暮らしたい」という願望を持っていると思います。どういう社会が理想なのか、みんな何となくわかってはいるのです。それは満たされていない願望なのです。
 「環東京湾構想」とは、そうした人たちの願望をかなえるための計画でもあるのです。
 これについても、まず環東京湾地域をモデルゾーンとし、次第に全国に広げていきたいと考えています。

首都圏リデザインの機会は今しかない


 アクアラインの値下げを機に、房総半島に別荘を買う人が出てきているそうです。目端の利く企業も土地を買いあさっています。 このまま明確な指針がないまま開発が進めば、パチンコ店ばかり立ち並ぶような、理想とはほど遠い街ができてしまうでしょう。
 せっかく東京湾に面した都心に近い広大な土地も、放っておいたら乱開発されてぼろぼろになってしまう。そうなる前にきちんと都市計画を作って、「何のために開発をするのか」という理念を一般に広めておかなくてはいけません。
 昔から大規模な都市計画は、公権カが交通体系を確立した上で土地利用計画、都市計画を策定し、事業者を連れてくるという形で実行されてきました。
 羽田と成田の2つの空港もいずれも新しい滑走路が完成して規模が変わり、政策的な位置づけが変更され、都心と空港をつなぐアクセスも変わろうとしています。
 新たに環東京湾を見据えた都市デザインを発表し、実現するとしたら、今がまさにラストチャンスでしょう。
 「環東京湾構想」が日の目を見るにせよ、あるいは別の切り口の構想が採用されるにせよ、行政は一つの大きなビジョンの下に、東京圏のリデザインと、理想の都市づくりを主導しなくてはなりません。
 埋め立てや事業者の移転で開発可能な土地を用意し、土地利用計画は大きな構想に整合する形でのみ認可し、アジアの企業や教育施設に来てもらうための持区をつくつて、それを足がかりとして理想都市を目指していく。
 政府の各官庁と関係する全自治体の協議機関を設け、首都圏全体として新たな理想都市つくりに向け話し合って、都心も農村も自分たちが困っている問題を解消するために広域で互いに協力していく。「環東京湾」という名前が必要なのは、東京だけでなく首都圏に住んでいる人たち全員に関係する問題だからです。
 この構想に対しては、多くの反論もあるでしょう。実際に細部がどういう形になっていくかは、実行してみない限りわかりません。
 しかし、誰かが構想を提示しなければ何も始まりません。一民間人である私が高速道路無料化という提案をしたのは2002年のことでした。その内容は、今から見れば大づかみなものでしたが、基本構想は変わりません。世の中に提示して議論のきっかけを作ったことに意義がありました。結局、その提案が政治を動かして、今や現実のものとなろうとしています。
 今回の構想も早い段階でオープンにし、主な政党や関係する自治体に「政府としてビジョンを考えていくべきではないか」と問いかけなければいけない。
 本書はそうした使命感から生まれたものなのです。
2010-01-31.SUN
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