上記ガイドラインに沿った、実務的な契約の原状回復特約の効力について解説します。
1 賃借人が賃貸借物件を退去する場合の修繕費負担の考え方
@通常使用による損耗の修繕費は賃貸人か負担する
※通常使用による損耗とは賃貸借契約に定められた使用方法に従い、かつ、社会通念上通常の使用方法により使用した結果、賃貸借物件に発生した損耗のことをいいます。
A通常でない、酷い使い方をした結果発生した損耗の修繕費は、賃借人が負担する。
※通常でない、酷い使い方をした結果発生した損耗とは、賃借人の故意、過失、善管注意義務違反、その他通常使用を超えた使用によって発生した損耗のことをいいます。
ところで@の場合、つまり通常使用による損耗の場合でも、その修繕費を(賃貸人ではなく)賃借人が負担するという特約をすることがありますが、この特約の有効性について判例が大きく分かれています。
なぜ判例の考え方が分かれるのか、また、賃貸人に厳しい判例(特約を無効にする方向の判例)の考え方をベースにした場合に有効な特約をするにはどうしたらいいのか、賃借人が消費者の場合と事業者の場合とで考え方は異なるのか、について述べてみたいと思います。
2 特約が有効になる条件
賃貸人に厳しい判例(特約を無効にする方向の判例)の場合でもすべての特約を無効とするわけではなく、次の条件が整っていれば特約は有効とされています。
T 特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなとの、客観的、合理的理由がある。
A 賃料が高い場合は特約をする必要性がありませんし、原状回復の修繕費を賃借人負担とすることは、暴利的であるということにもなります。
B 原状回復の修繕費が通常より明らかに高ければ、これを賃借人負担とすることは暴利的です。あるいは賃借人が短期で退去し本来修繕する必要がない箇所まで修繕してその修繕費を賃借人に負担させるのは暴利的ということになります。
U 賃借人が、特約によって通常の負担以上の負担を負うことになることを認識している。
C (酷い使い方をした結果発生した損耗だけでなく)通常使用による損耗についても、その修繕費を負担するということを認識していることが必要です。
⇒仮に、賃貸借契約書で賃借人が修繕費を負担する箇所を個別に列挙し賃借人がそれを了解したとしても、通常使用による損耗についても修繕費を負担するのだということを賃借人が明確に理解していないのなら、賃借人に負担させるべきではないということです。
D さらに、通常使用による損耗については、民法上は賃貸人が修繕費を負担するが、この契約に限って民法とは逆に賃借人か負担する、ということを認識していることが必要です。
〔理由〕このことは賃借人が法律を理解しているかどうかという問題であり「法の不知は許さず」という市民法の原則から言えば、本来はこのようなことは問題にならないはずです。しかし、消費者保護という観点からいえば、不動産に無知な消費者が、仮に、「通常使用による損耗の修繕費については賃借人負担とする」との契約書の条項を了解して署名捺印したとしても、『本来の法律の原則からは賃借人は通常使用による損耗の修繕費を負担する必要はない』ということを後に知れば「そのことを知っていれば契約書の条項を了解しなかった。不動産会社は、通常使用による損耗の修繕費は、賃借人が負担するのが当然という感じで契約書にサインするよう求めた」とクレームを言うでしょう。 このクレームは、賃借人が消費者の場合はもっともなことではあります。
V 賃借人力が、特約によって新たに負うことになる負担につき、負担するという意思を表明している。
→ この点は、賃借人か契約書の内容を理解した上で署名捺印していればよいですから、問題は上記のTとUです。
3 なぜ、 裁判官によって考え方が異なるのか
裁判官によって判断か異なるのは、C、Dの点をどのように考えるかの違いが大きいと思います。
つまり、ある裁判官は「賃貸借契約書に賃借人が修繕費を負担する箇所が個別に列挙されているなら賃借人はその契約書に判を押した以上、上記のCやDについての認識がなくても、特約は有効であり、賃借人が修繕費を負担すべきだと考えます。
・・・・従来型の市民法重視の裁判官
別の裁判官は、消費者は不動産に無知であり、逆に(賃貸人の依頼を受けている)仲介業者あるいは管理業者は不動産のプロなのだから、CやDについて消費者である賃借人がきちんと認識していない以上、特約は無効であり、賃借人に修繕費を負担させることはできないと考えます。
・・・・消費者の実態重視の裁判官
判例は分かれていますが、どちらかといえば、判例の主流は後者であるといってもよいのではないでしょうか。また、国土交通省や不動産の各協会の指導も後者の方向によっています。
4 賃借人が事業者の場合
ところで、上記の考え方がそのまま当てはまるのは賃借人が消費者の場合です。賃借人が事業者の場合はとうでしょうか。
■ Aについて
事業者にもレベルがありますが、一般的にいって事業者の場合は、消費者の場合ほどにはこの条件は考慮しなくてよいでしょう。
■ Bについて
賃貸人が原状回復にかけた修繕費が不当に高額だったり、修繕する必要がないのに修繕した場合なら、事業者であっても、その要求は拒否できるでしょう。
■ C、Dについて
Cについては、賃貸借契約書で、賃借人が修繕費を負担する箇所を個別に列挙し、事業者である賃借人がそれを了解しているなら「通常使用による損耗についても、その修繕費を負担する」ということが契約書に記載されていなくてもよいでしょう。
また Dについても、 事業者については「法の不知は許さず」という市民法の原則を徹底してよいでしょう。
5 特約にはどのようなことを入れればよいのか
以上に述べたことを元にすると、賃貸人に厳しい判例(特約を無効にする方向の判例)の考え方をベースにした場合、特約を有効にするには、次の条件が必要だということになります。
(1)賃借人が消費者の場合
TのA、B、UのC、D、Vの条件を満たすことが必要。
(2)賃借人が事業者の場合
TのA、B(ただし、Aについては、消費者の場合より緩やかに考えるべき)、Vの条件を満たすことが必要。UのC、Dの条件は不要
※ただし、賃貸借契約書に、単に「賃借人は賃貸借物件を原状に回復して明け渡す」と記載されているだけでは不十分です。賃借人が修繕費を負担する箇所を個別に列挙するという程度のことは必要です。
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